むかし漫画とSFその他 [名著]
実家から捨てるに捨てきれなかった漫画やらSFやらを移動。整理・格納のはずが手に取ったら最後、ラストまで読んじゃうんで作業になりゃしません。
岡崎京子の最高傑作かはさておき、連載終了後から10年を経て一気に読んでみたら意外にも綺麗にまとまった構成で感動しました。整形とかショウビジネス、富裕層の胡散臭さの描写とかは読者獲得マーケティングの手法であって、基本はあれだ、盲目的に愛されることしか考えない子供だったりりこが、最後には本当に自分を必要としてくれる存在に向けてだけ生きることを選択する、非常にシンプルな女子成長物語なのでした。まあ、それが自分自身だとかパラサイトみたいなマネジャー達だとしても、それはそれで長い人生そんなこともあるさ、ということで。しかし赤ん坊のように「愛されることだけを欲す」という貪欲さは私にとってはめんどい。遠くから見てるだけにしたいもの。
岡崎京子の絵と台詞はバランスが絶妙でなんか「全身で読む」って感じになる。もう漫画は描かないかと思うと、本当に寂しいです。
自分を否定することから出発し、結果全身整形で美の頂点にたっても常に「本当の自分は愛されていない」飢餓感しかなかったりりこに対し、P・バーグは自らの過去と引き換えに手に入れた美少女ボディに滑稽なほど同化していく。こちらも17年ぶりぐらいに読み返してみたのですが、これは純粋なSFというより、 SFの枠組みを使ったアメリカ文明批評でした。(ティプトリーの作品には結構多い)
薄暗い地下室から全身ワイヤーと電極だらけの怪物が遠隔操作している美少女は、巧妙にプロモートされることによって大衆の偶像となり、その私生活は最高の広告となる。ヨーロッパの老いた王子と婚約し、革命ごっこに夢中な財閥系エスタブリッシュの御曹司との悲恋・・・というところで、人造美少女であるところのデルフィとそれを取り巻く環境が60年代ハリウッドとワシントン・NYの政財界、伝統無きアメリカのおハイソ好きな大衆たちのグロテスクな戯画であるところが透けて見えてくるのですが、後書きによるとティプトリーは自分自身もエスタブリッシュの出身のくせに、子供のころ探検家の親に連れられてアジア・アフリカの秘境で育ったせいか、社交界や上流社会と相容れない性格に成長してしまって苦労したようです。子供を育てるのって大変だっていうのが私の平凡な感想でした。
ノンフィクションでありSFではないのですが人間(特にアメリカ人)の考えることはぶっとび過ぎです。「生首保存会」なんて、どう考えても死からの復活に役立つとは思えないのですが、善男善女は「脳の冷凍保存=人格・精神の保存」と考えて大金を注ぎ込むのです。みんな、イーガンの「順列都市」か安部公房の「第四間氷期 」ぐらい読もうよ。
この本を新刊時に読んだときは「世の中には変な人がいるものだ~」と思ったものですが、最近読んだブログにはこんな記事が・・・。
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